今日も晴れ。
中山美穂さんがお亡くなりになられた。自死ではなくヒートショックによる事故死(になるのかな?)。年齢的にはまだまだお若いのに…ほんと人間いつどうなるのかわからないね
そんな今日なんだけど、ある電話の自己嫌悪で今もいっぱい。それだけを書いておきたい。気持ちとやり取りの記録も兼ねて。
それは、母親の介護を担当する事務所からの電話連絡。退院後の話を進めたいとのことだけど、未だに自己嫌悪が半端ない。
その電話はこんな感じ。
「近いうちにリハビリを見に来てください。そこで退院後の介護について話がしたい。いつ来れますか?」
これを電話で急に言われて「は!?」となる。疑問符がたくさん浮かぶが、向こうにはこちらが疑問を感じていることに違和感を持っている。
試しにこんな質問をしてみる。
「それって、もし予定が合うのが半年先なので半年先に見に行きますって言えば、退院がそこまで伸びるのですか?それとも退院はするけど介護はしないってことですか?」と。
「いえ、そうじゃありません」とのこと。
わからない。じゃあ、リハビリを見に来いという急かすようなこの電話はなんなのかわからない。なので聞く。「じゃあ、リハビリに見に来いってのは何ですか?必須じゃないんですよね?」と。
「あ、いや…なんというか」と言葉が濁る。
「いや…この電話って、リハビリを見に来い。最短でいつ来れるんや?って電話ですよね?」と聞くと「そうなのですが…」とバツが悪そうに答える。意地悪かもしれないけど、そこにまた「で、仮に最短で半年先ですよって答えたとしても、それまでに退院はするし、介護はしていただけるんですよね?」
「ええ…そうですね」
「じゃあ…これは何のお電話なんですか?」
「いや、リハビリの様子を見て、どういう介護プランが必要なのかの話し合いを…」とお相手さん。
「わかりますよ。でも、その介護プランについて、これは不要、あれをつけてなんてことを僕は言わないし、言えるわけがないのでお任せしますとずっと言ってますよね。介護プランの詳細について何も知らないのですから。
実際リハビリを見ていても見ていなくても言われるがままです。母が望むことがあるなら、それも追加OKです。
ただ、一度決めたメニューはそう簡単に変わらないってことなら話は別かもしれません。初めからガチガチに決めるしかないのですから。でも、そうじゃないんですよね?仮決定で走らせてみて、過不足を調整してなじませるというやり方でも良いんですよね?
じゃあ、尚更なぜリハビリを早く見に来いって話になるのか僕にはわからないのですが…リハビリを見なくても退院は決定するし、介護プランは決まっていくわけでしょ?介護内容は後で調整可能なんでしょ?
それなら最もスムーズに退院から日常生活まで移行できる流れを優先してもらえば結構です。そこに僕が立ち会ったかどうかが必須じゃないなら、そんなことに拘らなくても良いのではないですか?
だから何の電話なのかよくわからないのです」
結果、まあそうですね。姪っ子さんが家を見て決めていくという形でも良いってことですよね?と確認を取られたので、はいどうぞと答える。金額面の云々は電話でも出来ますから、それでいいですよね?ってことなので、はいと答える。
ではそれで行きますとなって終わる。
結果、この電話、姪っ子さんに介護プランを決めるためのあれこれに協力してもらう形で良いですかという確認や報告だけで良かったのでは?と今なっている。
自分でもだいぶ相手を追い込んでいるのはわかる。やな親族だと思われているだろうな…という自己嫌悪感も半端ない。
メンタル的にとても疲れた…と思いながらこれを書いてます。