超雑日記ブログ

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負けや失敗の認識を変えることで素早く成長する


負けや失敗が好きな人っていないと思う。

でも、それを味方だと感じることができるようになると、自分自身の成長速度は速くなると思う。

逆に言えば、負けや失敗をネガティブにとらえていると、成長しなくなり、もっと大きな失敗や負けが近づいてくるよね…なんてことも思う。

負けや失敗を受け容れることで変わる

年を重ねたからこそ思う事があります。それは1つじゃなくていくつもあります。

いくつもあるのですが、中でも最近よく思うのが「負ける」ということ。

人生、良い負け方を知るほうが上手くいくんじゃないの?なんてことをよく思うんです。

だから、負けることを悪として認識するのは違うよな…。負けることは実は良い事だし素晴らしいことだと祝えるような価値観が良い人生を作れるんじゃないかな?…とか思うんです。

 

少し前の記事で「負けてからスタート」みたいなことを書いてからずっと心の中で引っかかってました。

負けてからスタートねぇ…そうかもな…でもな…みたいな事をずっと考えたいたんですが、やっぱり負けることは人生のよりよくしてくれます。

ただ、負けることはダメなこと、負けることは不向きだし才能がないという証拠みたいな捉え方をしてしまう環境だと逆効果かもってことを思っていたんです。

 

…というのも、僕は負けることが本当に嫌いなんです。格闘ゲームとか勝つまでやるタイプです。友達の家で格闘ゲームを始めると、勝つまで帰らないので友達がわざと手を抜いて負けてくれたりします。

その友達も俺を家に呼びたくなかったろうな…と今になって反省したりもしますが、とにかく負けるのが嫌なんです。

それが長所として発揮されると才能を開花させたりするのかもしれませんが、短所として発揮されると見栄っ張りとなると思っています。今の自分は完全に短所方向へと成長してしまっています。見栄っ張りな奴になりました。

すると「負ける」ことを避けるためのいろいろな手法や言い訳ばかり上手くなるんです。要は逃げ癖がつくんです。

 

例えば。

学歴はただの高卒なんだから、僕より頭のいい人が山のように居るのは当然なのに、それを認めることができませんでした。バカでしょ?バカなんです。だから、社会人になってからも勉強らしい勉強をやろうともしませんでした。

すると、大人になり時間を重ねるほどにその差が歴然としていくんです。頭のいい人は勉強を重ねるのでさらに知識が増えて社会的評価が高まる、それに比べて自分はどうだ?と。

でも「負ける」ことが嫌だから蓋をしたり、見て見ないフリをしたり、頭のいい人はXXができないからな…とか頭のいい人を貶めるようなことをいって、帳尻を合わせたつもりになったりもしていました。

そんなことをして必死にごまかしたとしても「負け」という結果は形を変えて自分の前に現れます。受け入れるまで何度も何度も突き付けてきます。

 

大人になり、色々なことがあり、ようやく「負け」を認められるようになりました。

あー、俺は基本的にバカなんだな。バカだと若い世代からもバカにされるんだ…みじめだな…と。その時はもう40代間近でした。あーあ、何やってんだ俺…としょぼくれて、来生頑張るしかないか…とあきらめの気持ちになりました。

でも、負けを認めてからがスタートなんです。自分は負けた。それを認めると、じゃあどうする?って気持ちになるんです。

才能があり、コツコツと真面目にやってきた人が上に行くのは当たり前だ、それが正しい世の中だ。自分はそうはしてこなかった。だから今なのだとしたら、少しでもいいから足りない事を埋めていこう。それしかないな…となって、本を読んだりするようになりました。

 

「負け」があるから、自分はこのままじゃ全然だめだぞってことを認識できたと思うんです。そして、「負け」によって自分の現在の上限値を知れたとも思います。

「負け」を認めることで、ようやくその分野、その方向でのスタートラインが切れたと思うんです。

 

ただ、なぜこんなに「負け」を拒絶してきたのかというと、やっぱりそこは幼少期の記憶があるんです。

試験でいい点数じゃなかったらしばかれたり裸で真冬のベランダに放置されたりしてきたこと。小さなころは何もわからないので、このまま捨てられるんじゃないか、死ぬんじゃないかという恐怖をそのたびに感じていたので、「負け」や「失格」や「不合格」は絶対に避けたい結果だったんです。

親はしつけだと称しているが、あのやり方は絶対に違うよな…未だに自分は思ってますが、その体験を通して「負け」へのネガティブな思いが過度に強くなってしまったため、「負け」を遠ざけることでそれを避けるという手法を用いるようになりました。

結果、自分を成長させることができなくなりました。

 

「負け」という結果が表しているのはテストや試合までのプロセスが良かったかどうかだと思うんです。

試験対策がちゃんとできていたから合格した、できていなかったからダメだった。平たく言えば、準備の精度の良し悪しの判定だと思うんです。

入試などのような大きな分岐点になる試験の場合はそういう考え方は難しいかもしれなくても、でも、そこに至るまでにある様々なテストが表しているのが、その準備方法が合っているのか、結果がでるものなのかの判定だと思うんです。

 

スペースXというイーロンマスク氏が運営するロケット開発の会社は、ロケット発射実験が失敗に終わってもやんややんやの大騒ぎになります。これは、これではダメだとわかったから喜ぶべきことだ!という考え方が根付いているためなのだそうです。

失敗や不合格というのは、本来はそういう事なのだと思います。失敗したのなら、今の準備の仕方ではダメってことだね。じゃあ、ダメな部分は捨てて、可能性を高めるための方法を考えなくちゃだな!

そういうサイクルで進歩していくのは、会社も人も同じなんじゃないかな?なんて思います。

 

その基本となるのが「負け」や「失敗」。

それがあるから次に進めると思うんです。しかも次に進む時には、今までのやり方ではダメだったんだ!と理解して進めることができるので、成功の確率を高めて次に進むことができます。

「負け」も「失敗」も悔しいけど、それらは単なる結果の1つ。その結果によってプロセスが合ってない、今のトレーニングでは足りないということが分かってくるんだから、「負け」や「失敗」が多い人ほど成長する。

どんどん負けて、どんどん失敗する。
これが大切だよな…ってことをアラフィフになってようやく気付けました。

これも一つの失敗です。でも、失敗を認めることができたから、失敗や負けを成長につなげることができるはずだと自分に言い聞かせていたりします。